「死」とは何か[完全翻訳版](著者:シェリー・ケーガン)を読みました。
人一倍、死ぬことへの不安や恐怖心が強い僕にとっては、なかなか興味深い内容。
正直、この本を読んだからといって人生の意味が分かるとか、死んだ後にどうなるかとか、そんなことは分かりません。
むしろ、死に対しての不安や恐怖が確信に変わり、死んだら本当に「何もない」状態になるのだな、と。
自分という存在は消滅し、意識がなかった生まれる前の状態になるということは、ほぼ間違いなさそうだとさえ思えてきました。
ただ、そんな中でも、ほんの少しだけ「生きる希望」が見つかったので、誰かの励みになればと思い、読んだ感想を書くことにしました。
- 人生に疲れたと絶望する人
- 生きるのがシンドイと苦しむ人
- 自分なんか生きていてもしょうがないと虚しさを感じる人
こんな人に少しでも希望を与えられたら嬉しいです。
僕は今でも人生に意味なんてないと思っていますが、それでもまだ生きていたいと心の底から思っています。
『「死」とは何か』を読む前の僕
僕は昔から、死ぬことに対して異常なまでの恐怖心を持っていました。
きっかけは小学校の道徳の授業。「命」というテーマでディスカッションを行うというものです。
正直、その後の衝撃があまりにも大きすぎて、授業の詳細は記憶から消えてしまいました。
ただ、この授業があった日の夜、寝る直前に「気づいて」しまったことは鮮明に覚えています。
死は、文字通り一巻の終わり
それまでは「死んだら天国か地獄に行くんだろうな」とか「記憶は消されちゃうけど、また何かに生まれ変わるんだろうな」とか、よく分からないけど死んでもまあ何とかなるだろう、と思っていました。
しかし寝る直前になって突然、「待てよ、天国とか地獄がなかったらどうなるんだ?…え…うそでしょ……」
はじめてでした。全身が震え、脳みそが熱くなり、なにか得体の知れない黒くて大きな、とても重たい塊に押しつぶされる。
息苦しさを感じながら、怖くてどうしようもなくて、泣いていました。
死ぬのが怖い。
死ぬということは、生まれる前の状態に戻るようなもの。
自分という存在が消滅し、意識もなくなる。
文字通り「何もない」状態になるのだと。
それが怖くてたまらなかったのです。
とんでもない事実に気づいてしまい、脳も驚いたのか、その日から無意識のうちに死から目を背けるようになりました。
死についてはなるべく考えない。大丈夫、きっと天国みたいな「どこか」行くところがあるはずだと、自分に言い聞かせていました。
とはいえ、心が疲れているときなんかは、あの時の得体の知れない黒い塊に襲われることもしばしば。
結局、この謎の恐怖心は大学に入っても払拭できずにいました。
そんな時、『「死」とは何か』という本に出会ったわけです。
『「死」とは何か』を読んで分かったこと
この本を目にしたとき、「これだ!」とピンときました。
きっとこの本を読めば、「人生の意味」とか「死後の世界」とか、そういうのが分かるに違いない、と期待していました。
結論から言ってしまうと、この本を読んだからといって人生の意味は見出せないし、死後の世界とか魂とかそういう類があるはずだという願いもあっけなく打ち砕かれました。
「死」とは、文字通り全ての終わり。
これまで無意識に遠ざけていた「死への不安」が、ほぼ間違いなく訪れるに違いないということに納得してしまいました。
ただ、不思議と「恐怖心」は軽くなりました。
もちろん、まだ死にたくないという気持ちに変わりはないですが、それでも妙に「自分もいつか終わりが来る」ということに納得してしまったのです。
僕なりの「死への恐怖を克服する方法」
死への恐怖を克服するというと大袈裟に聞こえるかもですが、少なくとも本書を読むことで、恐怖心は軽くなりました。
個人的には、以下の3つがポイントかなと思います。
- 具体的に「死の何が悪いのか?」を理解する
- 「不死=災い」という事実に気づく
- 「生」に執着しない域に達するにはどうすればよいのか?を考える
あまり本書の内容に踏み込むと長くなりすぎるので、ここでは僕なりの考え方を軽く紹介しておきます。
具体的に「死の何が悪いのか?」を理解する
「死」というものの最も悪い点は、機会喪失。
すなわち、もっと長生きしていれば体験できたかも知れない、素晴らしい体験が失われてしまうというのが一番の問題点。
人間はなるべく多くの楽しいことを経験した方が、人生における満足度も高まるという考えに異論はないだろうと思います。
「不死=災い」という事実に気づく
ところが、あまりにも長すぎる人生というのも、実はそれほど良いものではありません。
例えば、あなたが大好きなこと、ゲーム・読書・木が置けない友人とのおしゃべりなど何でもいいのですが、それらを永遠にやり続けることは本当に幸せでしょうか?
永遠というのは、何万年とか何億年とか、そんなレベルではありません。文字通り「永遠」です。
どんなに好きなことであっても、仮に途中でやることを変えてもいいとしても、永遠に生き続けるというのはあまりにも退屈で、いつかは「いっそのこと終わらせてほしい」と思うようになるはず。
要するに、多くの人が根拠もなく憧れている「不死」というのは、冷静に考えてみるとゾッとするほど恐ろしいことなのだと、気づくことが大切です。
「生」に執着しない域に達するにはどうすればよいのか?を考える
とはいえ、たった数十年でやりたいことを全部やるというのは難しく、まさにこの点が「死は悪い」と言われる所以なのだと思います。
普通に暮らしている人にとっては、人生はあまりにも短すぎるのです。
なので僕なりの考えですが、死への恐怖心を克服する最も手っ取り早い方法は、「人生の密度を高めること」だと確信しています。
つまり、短い人生の中で出来るだけ多くのことを経験し、「もう充分だ」と思える域を目指すこと。
これが一番簡単かつ現実的な方法ではないかと思います。
幸いなことに科学の進歩は年々加速し、2021年現在は個人でもいろんなことができる時代です。
「好きなことで生きていく」という世の流れも後押しして、転職や副業も当たり前の世の中になってきました。
個人的には、2年スパンで仕事を変えるくらいがちょうどいいんじゃないかと思っています。
そうすれば、20年で10種類もの仕事を経験できます。
勉強量は増えますが、そっちの人生の方がワクワクしますよね。
なので繰り返しになりますが、死への恐怖を克服するためには、「もう充分だ」と思える域を目指して、必死に生きてみる。
この一点が重要なのではないかと思います。
最後に伝えたいこと
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この記事は、シェリー・ケーガン氏の『「死」とは何か』という本を読んだ僕の感想に過ぎません。
僕自身、この本に衝撃を受け、少なからず心が救われました。
なので同じような不安や悩みを抱える人の力になればいいな、という思いで記事を執筆しました。
「死」というのは、誰も避けては通れない重要なテーマです。
なかなか勇気が必要ですが、一度じっくりと時間をかけて死と向き合ってみると、思いも寄らない希望が見つかったりします。
この記事を最後まで読んだあなたは、人生というものに疑問を抱きつつも、心のどこかでは絶対に諦めたくないという気持ちも持っているはず。
少しでも力になれたら嬉しいです。